ペコ
「雲」

はじめて彼女に会ったのは小さな古い喫茶店で、その子はコーヒーを静かにすすりながら、「私は口から雲を出せるのよ」と言った。向かい合わせに座った彼女がそう話している間も、その唇の隙間からは小さな雲がどんどん生まれていき、ふわふわと空中をさまよっては、お店の薄汚れた天井にどんどんたまっていった。
「すごい特技だなあ」と僕は関心して言った。いままでそんな女の子に出会ったことがなかったので、僕はすっかり魅入られてしまった。

それから一緒に住むようになって、僕たちは森の近くにある小さな木造の一軒家を借りることにした。冬になると、すきま風が容赦なく家に吹き込んできた。
一緒に長い時間を過ごすようになって気がついたことは、感情的になってしまうと彼女は雲を制御できないということだった。彼女が笑ったり、泣いたり、喜んだり、怒ったりすると、雲は口の間から次々生まれていき、行き場をなくして天井にたまっていった。
冬の間はそれでよかったのだけど(なにしろ壁の隙間を埋めてくれるのだから)、やがて温かくなってくると、もう部屋は雲だらけになってしまってとても窮屈になった。
仕方がないので、僕は物干し竿を使って部屋中にふわふわときままに浮かぶ雲を一箇所に集めた。一かたまりになった雲は僕たち二人がかりでやっと外に出せるほどの大きさだった。
僕らは家の屋根に登って、その雲を離してやった。雲は風に流され、西の空へと飛んでいき、やがて象牙色の空に浮かぶ他の雲と見分けがつかなくなった。
「ふう、せいせいしたわ。これでしばらくは広い部屋で暮らせるわね」と彼女は雲を口からぷかぷか吐き出しながら、うれしそうにつぶやいた。
雲が流れていってしまうのを眺めながら、あの中には彼女の一冬の間の感情がいっぱいこもっているんだなあ、と思うと少しだけ悲しくなった。そこには僕に「好きよ」とささやいてくれたときに生まれたものを含まれているのだ。あの雲が元気にやっていけるといいな、と心の中でこっそり願ったりした。

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