|
shu 「オデン記念日 (ちょと長っ)」 |
|---|
|
私の会社の傍には、牛の堵殺場がある。 なんていうとどんな田舎だと思われるが、東京都内の一等地で 13階建ての自社ビルである。 ベンチャーだが、親会社は誰でも知っている大企業だ。 そんな会社に、イシカワと言う社員がいる。趣味は俳句や短歌を詠むこと。 一度、誕生日に俵万智の歌集をもらったことがあるが、開いたことはない。 妻と子供二人。どこに住んでいるかは誰も知らない。 うわさによれば彼は地面の下に住んでいるらしい。 蟹の一種で砂浜に穴を掘って入口に蓋をするものがいるがそれに近く また、縁側の下に地蜘蛛が垂れ下がった筒状の巣を作るがそれにも近い。 彼は、とある空き地の隅で辺りを見まわしたかと思うと、ほんの瞬きの間、 零コンマ2秒で入口の蓋を開け、中に入る。 夜は巣の側面に家族みんなで逆さにぶら下がり 身動きもせず、人形のようにまぶたを開けたまま、眠るという。 彼は昼間、会社でよくコンビニのおでんを食べている。 両耳にナプキンをかけ、ナイフとフォークを使って、器用に食べる。 物音一つ立てないで整然と食すが、廊下の隅やデスクの下で 彼の咀嚼する音がする、という噂もある。 また、彼の舌は2枚あって、常時、引出しの中にスペアの 舌が入っているという噂もある。 さらに、彼は絶対に鏡を見ないというのも謎の一つである。 鏡の前を通る時、必ず顔をそむける。 一度、化粧直しをしていた女子社員の鏡を床に叩きつけるという事件もあった。 ある日、気がつくといつものように私の傍らにイシカワがいた。 腰を落とし、片膝をついて、ちくわぶを私に差し出している。彼はいつもそうだ。 書類を渡すときもわざわざこのような姿勢をとる。 片膝たてるのは人間への敬意の現れだと誰かに言っていたらしいが 彼にとって最大の防御の姿勢である事をみんなは知っている。 彼は完全な自己陶酔型の生き物であるが、単なるナルシストではない。 鏡嫌いであることが、それを物語っているが、彼の場合、ほとんどが 勘違いの陶酔でありそれに酔っている自分を自分自身気づかないでいる。 否、気づいているがそうした自分は、心の奥底に完璧に封印してしまっている。 肯定し、ひざまずくことが彼の正義であり、防御であり、同時に 逃避でもあるのだ。 ちくわぶはあまり好きではないので、申し訳なさそうに手を振るが、 遠慮しているのだと思ってどうぞ、と言う。 しかたなく、受け取り、その代わりに焼き鳥を差し出した。 昼間からやきとりなんてちょっとおかしいが、会社の前のやきとり屋の うまいことうまいこと。私は特にレバーが好きだ。まあ、それはそれとして。 いつもならこんな時きまって、それは上司の承諾がないといただけない とイシカワは言う。 たかが焼き鳥でなんで?と思うが、彼の真剣な眼差しに見つめられると きり返す言葉も失ってしまう。 しかし、その日にかぎって、イシカワは焼き鳥を受け取った。 眼がまんまるくなって、黒目だけになっていた。まるで犬みたいに。 とたんに、ざわざわと鳥肌が立った。私は席をたち、給湯室に行った。 なんだか、もう嫌だった。 これ以上、イシカワの傍にはいたくない。 明日からもう、見たくない。会社に行きたくない。 どうせこの不況のご時勢だし、いま辞めたって体制に影響はないだろう。 かわりのものが引き継いでくれる。 いや、どうせなら、イシカワをクビにすればいいんだ。 そう思って私は水をぐいっと一杯飲みほした。 と、その時、誰かが私の肩をたたいた。 振りかえるとイシカワだった。片膝ついて、なにか差し出している。 見ると、それは、食べ終えた焼き鳥の串だった。 私はそれきり、気を失った。 なにか、ゴミバケツの中で血がシュウシュウと音を立て蒸発しているような そんな生臭い匂いがした。 くすんだコンクリート壁に沿って、私たちウシは、お行儀よく順番を待っていた。 空がやけに青い。 これから私たちは殺されに行くのだということがわかっているのに わたしは無感動に、前を行くウシのお尻を眺めては口をもぐもぐ 動かしていた。 横を見るとイシカワが前を見て歩いていた。 顔はイシカワだが、やはり体はウシだ。 額になにか付いている。イシカワは何気に私を見た。 額に付いていたものは薄っぺらい熨斗紙で、なにか赤い墨文字で書かれてある。 それが辞世の句であることを私は漠然と悟った。 こんなときでも、イシカワは片膝ついて、首をはねてもらうのかしら。 そんなことを思いながら、辞世の句を読んだ。 きみがため 片膝つくは 愛ゆえの いのちもろとも 果てるともしれ 読み終えると同時に、イシカワの首が前方に吹っ飛んだ。 その向こうに黒い喪服を着た知美が、焼き鳥を食べながら ニヤニヤ笑っているのが見えた。 気がつくと、私は応接室に寝かされていた。 「うなされてたわよ」と知美が私の顔を覗き込んだ。 私は飛び起きて、辺りを見まわした。 「安心しなさいよ。イシカワは出かけたわ。 それにしても、アンタもなにもあいつの前で気絶することないでしょう。 あんた抱えたまま、キーキー悲鳴をあげて大変だったんだから。 もしかしたら、あんたのこと好きなんじゃない?あ・い・つ」 めまいがした。できるなら、もう一度気絶して、記憶を失いたかった。 次の日、イシカワは何もなかったように、黙々と仕事をしていた。 極力視線を合わせないよう心がけたが、頭の中をあの辞世の句がクルクル回って 私は何度も倒れそうになった。 そして、昼になり、イシカワはいつものようにオデンを食べ始めた。 時折、私のほうを見ているような気がする。 ああ、もうどうでもいい。来るならこい。 汗ばんだ手を握り私は極度に緊張し自分の心拍数を数えていた。 そして、ついに彼は、来た。 気配を感じる。視界の隅に、彼の膝が…。 私は自分でも分からないうちに、椅子から腰を落としていた。 片膝をついて、はんぺんを差し出している彼の姿がスローモーション のように視界に入ってきた。 私は、彼の前に片膝をつき、右手をゆっくりと彼の顔の前に差し出した。 私は微かに笑っていたかもしれない。 力が抜けて顔中の筋肉が弛緩していたような気がする。 その時、時間が止まってしまったかのように思えた。 みんなの視線も私たちに注がれていると感じ、私はなぜか快感だった。 その時、二人は完璧なシンメトリーを描いていた。 そう、合わせ鏡のように。 イシカワの目が、止まった。しかし、瞳孔が小刻みに震えている。 鼻の頭からみるみる白い液体が玉のように噴出してきた。 そのうち沸騰するかのごとく、液体は噴出すと同時にシュウシュウ 音を立てて蒸発し始めた。 イシカワの首が小鳥のようにかくんと傾げた。 何が起こったのか、それはあっという間の出来事だった。 カラダ中の毛穴から白い液体を出し、熱湯にかけたかつおぶしのように イシカワのカラダはねじれ、小さくなって、蒸発してしまったのだ。 床が濡れたように光っている。 いつのまにか知美がモップを持って「やれやれ」と言いながら、そこをふきだした。 「すべるから。気をつけてね」 時間が一斉に動き始めて、何事もなかったかのように みんなきびきびと仕事をし始めた。 「精算お願いしマース」と、最近入った若い男性社員が さわやかに言った。 わたしはうなづき、領収書の束を受け取ると、手際よく電卓をはじき始めた。 遠くで、ウシが一声、鳴いた。 |
|
<戻る(携帯不可)
<総合索引 mixiへ(携帯不可)> |